何で私が今ここにいるのかを
ドーモ、閲覧者=サン。
というかこのアイサツは前回もやった気がするぞ...
わたしです。@slimehiroshiです。今日は、わたしがどういうきっかけで沖縄高専入って、どういう感じにICTに入ったのかを話そうと思います。
小学生のぼく・オニ公園村にて
あれは僕が小学3年生の頃、休み時間によくプリントとかの裏紙をもらいに行って、友人なんかと紙にキャラとかを書いた自作ゲームを作ったりやっていたころからですかね。
ゲームを作って遊ぶことに楽しみを覚えました。
小3の画力。今からではありえない。
正直な話、紙でやるものだから乱数とかランダム要素とかはほとんどそれぞれの気分で数字を決めていたり(ときには機嫌取っていい数字ばっかりだしたり)、書いたり消したりの
繰り返しで、紙が破れたり...
そのゲームのモチーフとなった公園(通称:オニ公園)は地元の動物団地の中にまだありますが、敵の城があるところ(通称裏オニ公園)は、先日帰省したら、保育園が建ってしまっていたりと...随分かわってしまい時の流れを感じました。
小学校のこんな経験から、卒業式では「ゲームクリエーターになりたい!」と宣言したのです。
そういえば他のメンバーには沖縄高専に入りたいという夢を宣言した友達もいたなあ。
中学校のぼく・西蛇区周辺、堂野高校にて
中学校に入ってからは、別の校区の小学校のメンバーも加わり、その小学校の人とも絵で遊ぶようになりました。
↓当時よく使っていた「堂ノート」内容はほぼ俺まっしぐら。いまの僕のほうがうまい()
正直この辺からネーミングセンスが爆発したころだと思います。(弱い高校が最強になっていく『西蛇区高校』とか、どーのこーのしてる「堂野高校」とか)
西蛇区高校連載当初。シューティングゲームのキャラみたいなのがいるのは気のせい
どーのこーの(堂野高校はこれのスピンオフ)の主人公、トガリス・南都=カリストラ。登場当時は「なんとか」というふざけた名前だった。
そしてこのころからこうやって書いたゲームを実際にゲーム化したいと思うのでした...
高校も地元の高校か、沖縄高専かどうしようかと考えていた頃、幼稚園からの幼馴染に久々に会い(いっしょにゲームを書いていた友達)彼は中学も昭和薬科大附属中学に行ったのですっかり薬剤師になるかと思っていたのに、情報系の大学に行ってゲームを作ろう!といったのです。
それを機会にぼくも沖縄高専の道を確実な進路としたのです。
高校生のぼく・位置情報を特定できませんでした
そしてそんな小学生時代や中学生時代の記憶を抱えて、高専へ来た私。そんな記憶をいろんな人に遊んでもらいたくて、プログラミングやっていつかはオニ公園村や堂野高校を少年たちに伝えたくて、頑張っている(つもり)
夢を現実には厳しいし、周りのレベルの高さに圧倒される毎日ですががんばるぞい。
いつかの鬼公園や堂野高校を””思い出””ではなく現実にするために。